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木牛流馬製造地

諸葛亮が北伐で最も悩んだのが、険しい秦嶺超えの食料等の運搬でした。司馬懿はその弱点をついて持久戦に出たので、諸葛孔明はたちまち兵糧攻めに合い、兵を引くことになりました。これにより、この運搬を牛馬や人の手ではなく、機械力を用いて解決しようと策略を立て、「木牛流馬」 を考案することで、少ない人力で大量の食料を運ぶことに成功しました。肝心の木牛流馬がどのようなものであったかは定かにはなっていないですが、 恐らく、牛車のようなものと考えられており、その製造所と言われているところもあります。尚、一説によれば、これは諸葛亮の妻が発明したとも言われています。 県の「重要文物財」に指定されており、石碑が建ったのは1866年です。また、東屋の天井付近には張こう(合にオオザト)が諸葛亮の伏兵にあい、射殺される場面が描かれています(これは故事から創作されたフィクション)。