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三国志人物-龐統(鳳雛・劉備の影武者(ほうとう))

龐統姓名:龐統(ほうとう) 
字:子元(しげん) 
生死年:179~214
出身地:襄陽郡 
役職:功曹→冶中従事→軍師中郎将
所属:呉→蜀

中国後漢末期に劉備に仕えた人物。字は士元(しげん)、道号は鳳雛、謚は靖侯。襄阳(現湖北省の襄樊)出身「臥龍(がりゅう)」「伏龍(ふくりゅう)」と呼ばれた諸葛亮に対して、「鳳雛(ほうすう)」と称せられた。弟に龐林、子は龐宏、従父に龐徳公が、族弟に龐山民(妻は諸葛亮の姉)らがいる。
『三国志演義』においては「龐統/ほうとう」の兄弟は諸葛亮の妹を娶り、義兄弟となる。赤 壁の戦いでは周瑜(ジョウ・ユ)に対して曹操を破るための献策を行なう。
周瑜は曹操軍の軍船を火責めにしようと計画したが、一隻に火をつけても他の船は敗走し、全隻に燃え広がらないことが問題であった。そこで、龐統は「連環の計」と呼ばれる策を周瑜に勧めた。
それは、ホウ統自身が周瑜の陣営にスパイにやって来た蒋幹(しょう・かん)をうまく欺き、曹操の軍営に潜り込み、曹操と面会して北方人の弱点である船酔い対策として船同士を鎖で繋げることを進言したのである。これにより、火がついても曹操軍の軍船は離れないので、劉備?孫権の連合軍による火責めで曹操軍は大破されたということになっている。
曹操の臣下となっていた親友の徐庶(じょ・しょ)が火計に巻き込まれないように、別方面へ派遣されるようにし向ける策を授けた。その後、周瑜の葬儀に参列した諸葛亮に対面し、劉備に仕えるよう誘われる。彼の才を惜しんだ魯粛(ろ・しゅく)によって孫権に謁見されるが、醜い風貌と歯に衣着せぬ言動から疎まれてしまう。
次に龐統は劉備に面会するが、劉備はその風貌を見て諸葛亮が推挙するホウ統かどうかが判らず、閑職の地方県令をあてがった。すると龐統は一ヶ月の間酒ばかり飲んで職務を怠け、村人から訴えられるが、劉備から派遣された張飛が詰問したところ、溜まっていた一ヶ月分の仕事を半日で全て片付けてしまう。これにより、龐統はその才能を劉備に認められ、さらに劉備は自身の行為を戒めることになった。
その死については、劉備の代わりに危険な街道を進むのに、気遣った劉備が与えた(後世の小説では劉備と見せかける為にわざと借りたと言われている)備の愛馬におとりで乗っていたので、落鳳坡という場所で劉備と間違えられて張任配下の伏兵に射殺された、という描写になっている。
ちなみに落鳳坡という地名は現在の四川省徳陽市を指すが、龐統の死後に呼称されたと思われる。落鳳坡の石碑付近に龐統墓がある。